2018年08月15日
台湾へ行く!生まれたあの土地へ
皆さん、こんにちは。
7月末にお客様を連れて、台湾へ行きました。同じ中国語圏なので、特に現地ガイドを手配しおりません。
少人数の場合は観光タクシーでかなり経費を削減できます!
7月から台風がちょこちょこ形成するので、今年はほとんど毎週1本の感じになっています。しかし、福岡出発は完全に晴でした!台湾もこのような天気をお祈りします!
CI111便にて桃園空港へ、ドライバーさんと集合したら、すぐ今日の初目的地————白米甕砲台へ。
途中から。。。。

なに!?この嵐。。。。まさに最悪な状況じゃん!!
奇跡的に、どんどん基隆市に近づいていくと、雨はだんだん静まり、まるで降ったことがないように、快晴になりました!

これはひとまず安心できそうですね。運転手さんともいろいろ話して、お客様の状況を分かってくれましたら、まだまだ若い運転手さんなんですが、親切にいろいろ聞いてくれたり、調べてくれたりしました。台湾の方はとりあえず親切です!

途中の建物や高速道路の歴史も教えてくれて、台湾の方からの目線で、台湾の事をいろいろ話してくれて、大陸出身の私にとっては、いろいろ勉強できます。


目的地到着!先の雨は夢だったかなあ。。。
ここはお客様小さい頃よく遊んでいたところ、白米甕砲台は清仏戦争の時に設置されて、また日露戦争の時に、日本人より改修されて今の様子になりました。お客様はまだまだ砲弾が保存しているところまで覚えていらっしゃいました。

お客様はずっと海の方に眺めていた。まるで思い出に入り込んだいるようだ。


鉄砲すでになくなり、残ったのは、巨大な砲台跡でした。
お客様の記憶の中には、家の近くに白い灯台がありました。グーグル地図でいろいろ調べて、この白米甕砲台に一番近いのは基隆灯台でした。そして、白米甕の台湾語発音は、お客様がいつもおしゃってくれたペピオンと似たような発音です!早速灯台へ行きましょう!

まさに、あの砲台でした。一般開放にしていませんが、写真は撮れますよ とスタッフさんが教えてくれました。

灯台の下に、昔大人に、危ないからあそこで遊ばないで!と注意されたあの石の事。まだはっきり覚えていらっしゃいます。

しかしずいぶん昔と変わったので、あんまり家の場所がピンとこないですね。昔はここ一帯は漁村でした。現在はすでにコンテナーの集中地になり、道路も新しく作りました。

ここから一旦出発して、昔の小学校へ向かいます。

百十年以上わたって、この小学校は昔より拡大し、校名も変更しましたが、校門の両側にある榕樹は変わりませんでした。

次回続く・・・・

7月末にお客様を連れて、台湾へ行きました。同じ中国語圏なので、特に現地ガイドを手配しおりません。
少人数の場合は観光タクシーでかなり経費を削減できます!
7月から台風がちょこちょこ形成するので、今年はほとんど毎週1本の感じになっています。しかし、福岡出発は完全に晴でした!台湾もこのような天気をお祈りします!
CI111便にて桃園空港へ、ドライバーさんと集合したら、すぐ今日の初目的地————白米甕砲台へ。
途中から。。。。

なに!?この嵐。。。。まさに最悪な状況じゃん!!
奇跡的に、どんどん基隆市に近づいていくと、雨はだんだん静まり、まるで降ったことがないように、快晴になりました!

これはひとまず安心できそうですね。運転手さんともいろいろ話して、お客様の状況を分かってくれましたら、まだまだ若い運転手さんなんですが、親切にいろいろ聞いてくれたり、調べてくれたりしました。台湾の方はとりあえず親切です!

途中の建物や高速道路の歴史も教えてくれて、台湾の方からの目線で、台湾の事をいろいろ話してくれて、大陸出身の私にとっては、いろいろ勉強できます。


目的地到着!先の雨は夢だったかなあ。。。
ここはお客様小さい頃よく遊んでいたところ、白米甕砲台は清仏戦争の時に設置されて、また日露戦争の時に、日本人より改修されて今の様子になりました。お客様はまだまだ砲弾が保存しているところまで覚えていらっしゃいました。

お客様はずっと海の方に眺めていた。まるで思い出に入り込んだいるようだ。


鉄砲すでになくなり、残ったのは、巨大な砲台跡でした。
お客様の記憶の中には、家の近くに白い灯台がありました。グーグル地図でいろいろ調べて、この白米甕砲台に一番近いのは基隆灯台でした。そして、白米甕の台湾語発音は、お客様がいつもおしゃってくれたペピオンと似たような発音です!早速灯台へ行きましょう!

まさに、あの砲台でした。一般開放にしていませんが、写真は撮れますよ とスタッフさんが教えてくれました。

灯台の下に、昔大人に、危ないからあそこで遊ばないで!と注意されたあの石の事。まだはっきり覚えていらっしゃいます。

しかしずいぶん昔と変わったので、あんまり家の場所がピンとこないですね。昔はここ一帯は漁村でした。現在はすでにコンテナーの集中地になり、道路も新しく作りました。

ここから一旦出発して、昔の小学校へ向かいます。

百十年以上わたって、この小学校は昔より拡大し、校名も変更しましたが、校門の両側にある榕樹は変わりませんでした。

次回続く・・・・

Posted by チョウ at 18:03│Comments(0)
│添乗